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地元広島の建築家は、広島の建築を、この街をどう見ているのだろう? 三人の若手建築家と建物を見て回りながら様々なお話をうかがいました。
建築ガイドブック「HIROSHIMA ARCHITECTURE」より)
広島の建築家が見る 広島の建築

広島市環境局中工場(関連解説はこちら

――まずは中工場について、建築家としてどういうところに注目しますか?

土井 谷口(吉生)さんということで、色んな細かなディテールが綺麗に収まっているんだろうなという目で見てしまう。
一同 そうだね。
吉田 細かいということでいうと、リバーサイドでステンレス手摺を使うにあたり、谷口さんの作風から行くとヘアライン仕上げが多いのだけど、防錆の為ここは鏡面っぽくしているらしいよ。外壁のリブの大きさなんかも大型建築ならではの選び方をしてる、通常より大き目のリブなので大きな面積で見ると繊細に見える。そういうスケールバランスはさすがだなって思う。
土井 ゴミ処理工場を、見学場所としてだけでなく、雑誌の撮影場所などに使われるのは、建築によるところが大きいね。(註:訪問した日、中工場で雑誌の撮影が行われていました) 平岡市長時代のピースアンドクリエイト事業にはやはり意義があって、清掃工場の設計を建築家に頼むということ自体が画期的だった。


吉田 清掃工場の場合、社会見学ルートを設定するのは普通だけど、ここまで工場設備を見せているのは他に例がない。見せるべきものとしてデザインしているから見応えがある。

――美術館設計を得意とする谷口さんらしいアプローチですね。

吉田 広島市はリバーフロントを大切にするから、ここはしっかりと作っておきたかったのではないかな。広島は海が近い割に海に近づける場所が少ない。しかもここは中洲の突端という貴重な場所。
小川 マッシブなヴォリュームを都市軸に沿って抜いている、そのシンプルな構成が気持ちいい。アトリウム内部の空間を最優先につくる設計者の意図が外部から見える様々なディテールの工夫から読み取ることが出来る。空気の通らないアトリウム内の樹木は可哀想な感じがする。


土井 普通、清掃工場の裏側にまで見学者が来ることはない。貫通通路を設けて来訪者を裏側まで来させて海を見せようというのは新しい試み。
吉田 不整形な敷地に四角い建物を置いているから余白が生じているけども、うまく処理できていると思う。
土井 建物を見る時には建物そのものから見てしまうけど、敷地に対しての配置計画やそこに配置することから生まれる余白空間も面白いね。中工場であれば背後の公園部分にどう人を導くか、公園部分のスケール感をどう設定するかとか。


吉田 たまには広島港から宮島へ行く船に乗って広島の街を見ると新たな発見がある。ただ、海から中工場を見ても、他の工場や背後の都市のボリュームとの関係からか、圧倒的な存在感というほどではないね。街側からファサードを見た時の方が(住宅などのスケールとの比較になるので)ボリューム感がある。
小川 街側からの見え方と言えば、以前までは吉島通りからまっすぐに見えていて存在感があったのが、高架道路が建設されて視界が分断されてしまったのは少しもったいない。
土井 建築のスケールから見ると中工場は相当大きいけど、土木構造物のスケールはまた別格ということだろうね。

ひろしま・パーク・レストルーム

――続いては広島市内の公園に次々と誕生している公衆トイレ「ひろしま・パーク・レストルーム」の一つ、吉島公園の事例についてお聞きしたいと思います。この一連の作品は、小川さんが広島市のコンペで最優秀賞を取って実現しました。

土井 屋根の色に目を引く原色を選んでいるのがいいよね。公園施設はアースカラーで木とか土の色になりがちだけど、あえて周りから浮き立つ色を選んでる。
小川 屋根の色は公園の遊具で使われる鮮やかな色をイメージしていて、しかも公園ごとに変えてます。色の選定は割と単純で、吉島公園の場合はトイレ予定地の脇にイチョウがあったから黄色。
土井 公衆トイレのデザインを(設計入札ではなく)コンペで選ぶということ、そして同じデザインのトイレが次々と広島市内に生まれているということは、小さいけども都市的なインパクトがある。もちろん僕たち建築家にとってもエキサイティングな出来事だと思う。

――トイレは二等辺三角形のプランで、その先端は北を向いています。

土井 広島という場所を考えると、三角形の頂点を爆心地に向けるのもあると思うけど、それは考えなかった?
小川 全て北向きとしたのは、全てのレストルームで同じ光の空間を作りたかったのと、広島の子供たちがグローバルな視点を持って世界の中での広島を意識できる仕掛けとして考えたため。平和都市だからと言って爆心地を意識させることが公園で遊ぶ未来ある広島の子供たちへのメッセージとして本当に良いのか分からないし、都市のインフラ建築としてより普遍的な軸を埋め込みたくて、こういう提案にまとめました。

――街路グリッドがはっきり見られる都心の公園に建てれば、実は広島の道路が東西南北から少し傾いていることが分かって面白そうです。

小川 それは面白いですね。
土井 トイレ単体ではなく、トイレの軸線を合わせるなど都市レベルで全体をひとつのアイデアとして提案した事はすごく面白い。ラ・ヴィレット公園のような様々な要素が重なって最終的に全体が完成するような。

――デザイン上の細かい工夫などはありますか。
小川 屋根をできるだけ軽く見せたいという思いから、南東又は南西から見たときには軒下が隠れて屋根が一枚乗っているだけのように見えるようにしてます。窓はガラスだと割られる恐れがあるのでアクリルで。通常公園のトイレはガラスブロックが多いけど、割れたときのメンテナンスが結構大変なので。
吉田 こういった不特定多数が自由に利用する場所がデザインされているということは確実に生活の質を上げる。実際に見てみると再確認できるね。
土井 今後はトイレだけじゃなくて、公園自体のデザインもしていく必要があるんじゃないかな。都市部の建物がどんどん更新される中で、公園だけはスケール感が変わらないというのは貴重なことだと思う。そういうところこそ、この人がデザインしたというものがあっていい。




二つの傑作建築

――さて、広島の建築を語る際に平和記念資料館と世界平和記念聖堂の二つは避けて通れませんが、これらについてはどう捉えていますか?

吉田 建築を見るときには、個々のデザインを語るだけでは不十分で、都市を読み解こうという視点は常に持っておきたい。そういう目で見てみると、平和記念公園は単に大きなプロジェクトだったというだけでなく、都市そのものの方向性を決定づけた歴史的な計画。


小川 世界平和記念聖堂は、経緯や理屈とは関係なく純粋に良い建築だと思う。教会建築って、目的がシンプルな中でどう造形的に表現するかが問われるから、個人的に好み。他の街に行ってもよく見に行く。
土井 丹下さんの平和記念資料館はコルビュジェの造形やその時代のデザインの流れなどがよく現れていて分かりやすい。村野さんの世界平和記念聖堂は、ほぼ同時期に建築されているんだけど、当時のデザインの主流ではなく、村野さんの設計を突き通しているという感じ。そういう人の建築が面白いということが多々ある。

――つまりコルビュジェと反コルビュジェのせめぎ合いとでも言うべき状況が広島で生まれたと言えそうですね。二つ同時に重要文化財になったのも運命的なものを感じます。
広島そごうについて

小川 自分にとって広島の都市的な象徴と言えば、平和公園じゃなくて広島そごうの壁面(笑)。子供の頃、山口から広島に出てきてあの壁を見ると「ああ都会に来たなぁ」って思ってた。今見ても、あの表現は嫌いじゃない。
土井 確かに、デパートが圧倒的な求心力を持っていた時代は都市のランドマークになってた面はあるね。でも最近はデパートの屋上遊園地も閉鎖されてきたし、今の子供は何を都会のイメージだと感じているのかな。

――そごうについて補足すると、地下街ができて紙屋町の地上を歩かなくなったためか、あの堂々たるファサードを拝む機会が減ったような気がします。都市の象徴となる景が時代と共にどう変化していくか、興味深いテーマですね。
広島の建築界を取り巻く状況

――広島を拠点に活動している建築家が、建築専門誌に特集されるなど、最近注目を浴びています。広島の建築家を取り巻く現状についてはどうお感じですか?

土井 確かに注目されている面はあるだろうけど、都市にインパクトを与えるにはほど遠いのが現状。例えばこのガイドブック(HIROSHIMA ARCHITECTURE)を見ても、広島の建築家の作品はごく少ない。作品の大半が個人住宅で、ガイドブックに載る、つまり公開できる建物は少ない。施主に喜ばれるものは作れているという自負はあるけど、街の人が誰でも知ってる施設に地元の建築家が関われていないのは残念なこと。
吉田 ガイドブックを見ると自分も関わった安佐南区総合福祉センターが載っているが、村上さんほどの建築家でさえ、公共建築が一つしか残せてない。
小川 業界内ではアツいと思うが、社会に打って出るところまで行っていないのが現状だろう。広島の建築に広島の建築家が関わる、つまり広島のアイデンティティが建築に埋め込まれていくことが自分にとっての理想。例えば公共系なら、公園の小さな設えや庁舎の外壁の色など、本当にちょっとしたことでも建築家に相談してもらえば必ずより良いものになる。

土井 たとえ予算が無くても、将来像は考え続けることが大切。そのためには、街の将来像について定期的にコンペを行い、案を買い取っていけばいい。ヨーロッパで仕事をしていた時に驚いたのは、実現を前提としないコンペが頻繁に行われていたこと。アイディアを出せるチャンスが頻繁にあることは、街にとって必ずプラスになる。

――広島へのオリンピック招致を契機とした「Hiroshima 2020 Design Charrette」(略称:HODC)はアイディアを出すチャンスを自らつくろうという試みですね。今後、オリンピックだけでなく、紙屋町、駅前、基町、広島の街全体、どうしていくかということを、いろんな形でプランを出していくことは大事になってきそうです。
本日はどうもありがとうございました。





土井一秀・どいかずひで
1972年広島生まれ。広島大学大学院修了後、小川晋一都市建築設計事務所、Reiach and Hall Architects、Diener & Diener Architekten、文化庁芸術家在外研修員としてforeign office architects。2004年より土井一秀建築設計事務所主宰。近畿大学工学部非常勤講師。

吉田 豊・よしだゆたか
1972年大阪府生まれ。広島大学大学院修了後、村上徹建築設計事務所。2008年より吉田豊建築設計事務所主宰。広島工業大学、呉工業高等専門 学校非常勤講師。

小川文象・おがわぶんぞう
1979年山口県生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科、ロンドン大学大学院を経て、アトリエ ジャン・ヌーヴェル ロンドン事務所にて勤務。2008年よりFUTURE STUDIO主宰。広島国際大学、穴吹デザイン専門学校非常勤講師。
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